ヒポクラテスの誓いを想う

医師として国際人として

ヒポクラテスの誓いを想う

日本大震災の被災地、宮城県名取市の医療活動の際にヒポクラテスの誓いを思い起こして

3年前の3月11日に発生した東日本大震災の激甚地である宮城県名取市の市長、佐々木一十郎氏より、医療支援の要望書が届き、2011年4月16日から活動を始めることとなった。

東京、港区麻布にある民団組織団体に費用の負担を依頼し、医療チーム、サポーターを派遣してもらうことになった。何よりも、公共の交通網が壊滅的状態であったた為、比較的大型の車を工面して頂き、毎回、東京から名取市まで往復することができた。地震の後、波状現象で道路がゆがみ、車が揺れたことを思い出す。4月中旬であるにもかかわらず、道の両側の残雪に、東京と比べて遅い春の訪れをつくづく感じた。

名取市には、仙台空港アクセス鉄道を有し、アジアに通じる東北唯一の空の玄関に隣接した都市として一役を果たしている町である。仙台市の南東に広がる海岸線までの肥沃で平らな農村地域を一瞬にして、言葉で表せないほどの無作法な破壊の爪跡を残したことになった。医療支援を始める前に、まず市長室に案内された。佐々木市長に会い、現場について詳しく説明を受け、保健師Tさん、支援チームのSさんを紹介され、最も被害が大きかった閖上地区(閖上「ゆりあげ:宮城県名取市」:仙台市の南東部に位置し古くから漁師町として栄えた名取「浜にいかだに乗った観音像が揺り上げられた」との伝説から、浜のあたりは「ゆりあげ」と呼ばれるようになった。)を中心に現場を見ることが出来た。町全体が暗黒のくらやみで仙台を結ぶ鉄道、高速道路の近くまで、漁船が乗り上げられている様に、自然災害の恐ろしさと、今まで、目にしたことのない異様な風景には脅威を感じるほどであった。市長は地元の名酒作りの蔵と自宅を失い、市長室で寝泊まりしながら執務に励んでおられた。住民たちは市役所の玄関や寒い待合室にも布団を敷き、休んでいる情景をみることが出来た。

本格的に医療活動が開始された場所は、住民たちの避難所になっている小・中学校、公民館で、1日700人程度の住民達を巡回して診療した。そこでは、比較的大きい紙箱で各々の家族が境界を作り、ほんとに原始的な形で1日を我慢しながら過ごしていた。最近、都会では家族問題で色々と話題になっているが、狭い紙箱の境界の中に寄り添う各々の家族は、絆で結ばれた力強いファミリー単位だと実感することが出来た。東北地方の特有なほうげん、なまりがあり、年輩の方々の話を丁寧に聞き取るのは難しかったが、本音でゆっくりと苦情を訴えていた様子は大震災に直面した人々の苦しい心情を察するのに、医師として、診察の際に大変助けになった。

住民の1人、老婦人の話を紹介しますと、閖上の中心部で広い土地を利用し、ビニールハウスのいちご等の野菜の栽培をしていたが、今回の津波ですべてを失い、一緒に仕事をしていた若い仲間2~3人もまだ行方不明で、心配で寝れないので、睡眠薬がほしいとのことであった。このような苦境に落ち入った家族の話は数えきれなかった。

夕方遅く、診察を終えて旅館に戻ると気が重くなり、医師として何が出来るかについて熟慮することが多かった。宿題を解く1つの方法として、学生時代に学んだヒポクラテスの誓いを思い出してみることにした。医師だったら、皆様が知っている通り、医学の歴史の元祖は、西洋医学においてはヒポクラテスである。私はその誓いの中で噛み締めなければならない教訓の言句があるのに気が付いた。

’’I will preserve the purity of my life and my art.’’(私の生活を術とともに清浄かつ敬虔に守りとします。)

‘’If I keep this oath faithfully,may I enjoy my life and practice my art,respected by  all men and in all times;but if I swerve from it or violate it,may the reverse be my lot.’’(以上の誓いの上でを私が全うしこれを犯すことがないならば、すべての人々から永く名声を博し、生活の術のうえでの実りが得られますように。しかし、誓いから道を踏みはずし偽誓などをすることがあれば、逆の報いを受けますように。)

誓いの言葉の中で、my artという言葉が5回出て来るが、art という言葉の語源から解決してみると、ラテンのアルス(ars)から発したもので「物事の原理の理解」を意味すると思われる。医学に照らした場合には、病気と人間の総合的原理を理解するものとして、そこに医師の特殊性があると判断する。さらに医術(ART)により驚嘆と感動も呼び起こすことができる。今回、被災地の避難場の苦悩に満ちた患者を診察しながら考えたことは、病気そのものよりも、複雑な心境をかかえている人々の気持ちを如何にして理解するかが基本的な姿勢だと思った。

ただし、誓いのもう一つの文で読み取れるように、治療のとき、また治療しない時も人々の生活に関して見聞きしたことは守秘事項と考え、口を閉ざすことにいたすと釘を刺している。名取市のある責任者の話によると、住民達は震災の直後の混乱期に、興味本位の写真家達が盗撮したことを嘆いたという。名取市での4月から3ヶ月間の被災地の医師としての経験は、私にとって、大学、一般病院の日常の診療とは異次元での医業を考える上で、大変意義深かったと思う。もう1つ、私が名取市にかかわっている間に、中国の首相、韓国の大統領が佐々木一十郎市長の案内で名取市の閖上地区を訪問し、住民達を慰労したことは、国際的に政治を超え、大変、喜ばしいことであった。